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つたいあるけ
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snowing
旧年中、皆様には大変お世話になりました。
2012年も、どうぞ宜しくお願いいたします。




2011年3月11日の東日本大震災から、10ヶ月が経った。
当日と同じ会場で、今年はじめての東京平日歌会が行われた。
明後日には当日同様、第二金曜日の『塔』誌のゲラ初校がある。

年末から年明けにかけ、記事の見出しやニュース等で
「震災を忘れない」というフレーズをよく目にし、耳にした。
これは「忘れる」という前提があっての言葉だ。

ひとの記憶は、うすれてゆく。かたちをかえてゆく。
それは止められない。
たとえ一分前の出来事を思い起こしたとしても、
その瞬間と全く同じ気持ちを持つことは不可能だ。

だが、忘れない、という意識こそが大切なのだろう。
時間の経過と共に、見えてくるものもある。
だから、私は忘れないのではなく、
憶え直す、新しく憶える、としたい。

この国がどうなっているのか、どうなってゆくのかを
おぼつかない、ゆらぎがちなこの脳で、
いや、むしろ総身で、上書きし、保存したい。

そのときに短歌は、私の傍に居てくれる筈だ。
もがきながらも詠み、読み、聞き、語っていきたい。

私と娘が住む、ホットスポットと呼ばれる街には
今日、ことし初めての雪が散った。
白い欠片は積もることなく、数分で消えていった。

同じ雪は二度と降らない。
それでも私は雪を手に受け、歌にする。
歌のなかで、雪は何度も新しく降る。



# by tsutanuma | 2012-01-11 21:15 | 挨拶 | Comments(0)
2011年、ありがとうございました。
今年もあとわずかとなりました。

私は年末年始とも早朝から勤務ですし、
クリスマス過ぎから娘が発熱を繰り返してもいますので、
特別なことはせず、おせちもつくらず、年賀状を書いているくらいです。
(元旦には届きませんね、ごめんなさい)

せめてブログで、
この一年の御礼を申し上げておきます。

結社活動では、長野での全国大会で
たくさんの方とお会いできたことが、なによりの思い出となっています。
歌合での白組勝利、全体歌会で選者賞を頂けたことも大きな喜びでした。

誌面では時評を一年間担当し、奇数月ごとに苦しんだぶん、
自分自身の学びともなりました。
ジヒョウ読んでいます、これからもご健筆を……と
いくたびも声をかけられ、それを支えに書きつぐことができました。

また、文学フリマで参加した同人誌『日常キングダム』に
大きな反響があり、驚くと同時に大変光栄でした。
御蔭様で、増刷が決定いたしました。改めて感謝を申し上げます。
年明けに正式なお知らせを掲載します。

そして、今年最も大きな出来事であった
東日本大震災について思うところは
またの機会に、改めて記述します。

2011年の終わりをもって、このことを
「ひとくぎり」と片付けたくは無いのです。
それは、3月11日で一年を迎えても同じです。

震災後の私にあるのは
悲しみよりも、憤りです。

憤りを持ち越すのは、しんどいことです。
それでも私は、抱えていきます。

それでは、来年もきっとお目にかかれますように。
どうぞ、よい一年を。




# by tsutanuma | 2011-12-31 17:54 | 短歌 | Comments(0)
同人誌『日常キングダム』 増刷企画について
たいへんご無沙汰いたしました。
なんとかこんとか過ごしております。

さて、この秋も文学フリマに同人誌即売で参加しました。
メンバーは「枡野浩一のかんたん短歌blog」への投稿で知り合った、
20代・30代・40代・50代の男女11人です。

一昨年『屋上キングダム』昨年『喫茶キングダム』
そして今年は『日常キングダム』。

http://okujoking.exblog.jp/(屋上キングダムblog)

http://tsutanuma.exblog.jp/13741401/(昨年の記事)


すべてが大きく揺らいだ2011年3月11日。
あれから、それぞれがそれぞれの立場で見つめなおし、捉えなおして
かたちにした「日常」を持ち寄りました。

御蔭様で予想を上回る反響をいただき、
当日の会場で、発行分が完売となりました。

その後、手に取れなかったことを惜しむ声がいくつも届き、
そして発行メンバー一同の長年の友人であり、
よき読者でもいてくださる本多響乃さんより、
増刷のご提案をいただきました。
こころより感謝申し上げます。

メンバー内で相談の結果、ご購読希望者が12月10日までに
30名を超えましたら、増刷することといたしました。
現在、響乃さんのもとには既に20名強のご賛同者が
集まってくださっているそうです。

当ブログの閲覧者で増刷をご希望の方がいらっしゃいましたら、
この記事のコメント欄にお書き込みいただくか
twitterの@tsutanuma、沼尻つた子までメッセージを頂ければと思います。
どうぞ、宜しくお願い申し上げます。

『日常キングダム』 一冊500円
(通信販売の際は別途送料)

編集長 稲荷辺長太
装丁・挿画 後藤グミ

・小説 「old boy」  仁尾智
・短歌 「羽」  百田きりん
・小説 「あのころ」  天国ななお
・俳句 「弁当箱が皮」  辻一郎
・ルポ 「私の日常に一番足りない物を一週間続けてみよう、と思いついた」 笹本奈緒
・短歌 「ニート以上」  志井一
・小説 「オイさん」  沼尻つた子
・小説 「Re:」  モーフ
・短歌 「ひとすじの」 あみー


私の小説「オイさん」は、すこし苦い男女の物語です。
読みきりですが、屋上キングダム・喫茶キングダムでの
私の小説もお読みくださった方でしたら、
「おっ」と思ってくださいそうな仕掛けもあります。

しかし、一作目執筆時から意識して用意した伏線ではないのです。
猛暑の夏の数夜をかけ、ほぼ一気に書き下ろしているときに
「ストーリーとキャラクターが作者の手を離れ、自ら動きだす」
という不思議な経験をしました。お読みいただければ幸いです。


ところで。
ツイッターでは日常を、ぐだぐだと素でつぶやいています。
このブログでは多少しゃっちょこばり気味。
ブログは化粧がっつり顔、ツイッターはスッピンでしょうか。
ミクシィは日焼け止めとリップクリームを塗った程度といったところ。
個人メールは寝起き顔。




# by tsutanuma | 2011-11-30 16:56 | Comments(2)
24年目のサラダ記念日
 「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日

俵万智氏『サラダ記念日』の発売は1987年。
出版社勤務の父が、どこからか持ち帰ってきた。
私は15歳だった。
歌集というものをはじめて手に取った。
見開きに6首・6行。
190頁をさらさらと、20分ほどで読み終えた。
短歌の本ってずいぶんあっさりしているんだな、と思った。

当時、印をつけた歌がひとつだけあった。

  生ビール買い求めいる君の手をふと見るそしてつくづくと見る

背伸びした歌を選んだものだ。
その後、『サラダ記念日』をふたたび開くことはなく、
私は成人した。

三十代半ばから、自分で短歌を詠むようになった。
ふと思いだし、実家の本棚をさぐった。
埃をかぶった『サラダ記念日』があった。

読み返してみると、10代の頃の何倍も時間がかかった。
歌集を読む機会が増え、一首とじっくり向きあう習慣が
身に付いたせいもあるだろう。
しかしそれ以上に、かつて軽い口当たりと感じた『サラダ記念日』は
咀嚼を必要とする、噛み応えのある一冊だったのだ。


  「嫁さんになれよ」だなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいの

  愛人でいいのとうたう歌手がいて言ってくれるじゃないのと思う

  ハンバーガーショップの席を立ち上がるように男を捨ててしまおう

まず目をひくのは新鮮で軽快、みずみずしくあかるい、
まさにサラダのような歌だ。
ゆえに短歌になじみの無い人々にも受け容れられ、
ベストセラー・社会現象となったのであろう。

しかし多少短歌に親しみ、実作もした眼でみると
韻律や語句の選択、仮名の配置など、細部にまで神経を行き届かせた、
手堅い歌が数多く並んでいると気づく。

  球場に作り出される真昼間を近景として我ら華やぐ

  母性という言葉あくまで抽象のものとしてある二十歳(はたち)の五月

  誰を待つ何を待つ吾は<待つ>という言葉すっくと自動詞になる


歌集の構成も、注目を浴びた相聞だけではなく
職場詠、旅行詠、家族詠などバランスが取れている。
さきに挙げた「嫁さん~」等のように、
人口に膾炙した作品が、歌集のメインだとは思えなかった。
むしろ、定番のグリーンサラダに散らすクルトンのように、
小粒のアクセントとなっている印象だ。

しかし、そのグリーンサラダには、
俵氏独自のドレッシングがかかっている、と思う。
さっぱり爽やかなようで、塩味・苦味・酸味の複雑さがあるのだ。

  見しことの濁りを洗い流すごとコンタクトレンズ強く滌ぐ(すす)げる

  ひたすらに墨をする中浮かびくるもの打つごとくさらに墨する

  さくらさくらさくら咲き初め咲き終りなにもなかったような公園

この微かに舌の痺れるような香辛料が、
俵万智本来の「味」なのだろう。
『サラダ記念日』以降の俵氏の歌集を繰ってみても
同様のスパイスを、私は舌先に感じるのだ。



亡くなった父は、詩歌に縁の無い人であった。
母曰く「家が傾ぐほど」書籍が遺されたが、
歌集は『サラダ記念日』一冊だった。
この一冊をどう読んだのか、聞いてみたかった気もする。

  ひところは「世界で一番強かった」父の磁石がうずくまる棚

  おみやげの讃岐うどんが社名入り封筒のなかからあらわれる

  行くのかと言わずにいなくなるのかと家を出る日に父が呟く


# by tsutanuma | 2011-07-06 21:22 | 短歌 | Comments(2)
めぐりくる
きょうは11日。

もう二ヶ月、まだ二ヶ月、
どちらとも思う。

暦は人間がつくったのものだから
数字でみる節目は、自然界には関わりがない。
月日は、季節は、暦どおりきっちり区切られるわけではない。
すこしずつ流れて、変わっていく。

しかし、人間はその数字を目印や栞、ブックマークのようにして
かつての思いを呼び出し、更新することが出来る。

私にとってのブックマークは、11日であると共に
毎月の『塔』初校日だ。
今月は明後日。




さきの日記でとりあげた『阪神大震災を詠む』で
選者のひとり、島田修二氏がこう書いている。

---------------------------------------------------

応募のなかには「ない」(※)という古語がかなり用いられていた。
「ない」はかなり古くから見られ、「方丈記」にも出てくるが、
「万葉集」には無い。
それは偶々、万葉の時代には大震災が無かったのか、
あるいは密集した都市の形態が整っていなかったためか、速断できない。
ただ、関東大震災に多くの作品が残されたように、
近代以降の深刻なテーマになってきていることだけは否めない。
今回の震災作品は、まだまだ多くの論議を呼ぶことであろう。


※ 引用者駐:旧仮名「なゐ」

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東日本大震災に関する詠草も、巷にあふれてきた。
塔誌では来月号(3月20日原稿〆切分)からだろう。
目をそらさずに、くもらせずに、しっかりと見ておこうと思う。
詠いっぱなし、読みっぱなしにしないように。




# by tsutanuma | 2011-05-11 08:43 | 短歌 | Comments(0)
震災を詠むということ・再考
1995年1月17日の阪神・淡路大震災の直後、
「朝日歌壇」「朝日俳壇」は震災についての短歌・俳句を緊急募集した。
応募は三週間足らずのあいだに、一万七千余通にもなったという。

そのうち短歌は約八千首。
近藤芳美・馬場あき子・島田修二・佐佐木幸綱各氏の選を経て、
2月16日付の朝刊に入選作が発表された。
それに約百首の短歌と約50句の俳句が加えてまとめられたのが
同年4月10日に発行された朝日新聞社の新書
『阪神大震災を詠む』である。

東日本大震災から一ヵ月後に、この本を手にとった。
16年前、私は短歌とはまったく縁無く過ごしていたのだが、
紙面に取り上げられた震災詠のいくつかに見覚えがあって、驚いた。
短歌を意識していなかった当時ですら、それだけの衝撃を受けたのだ。


 かなしくも四五日分のひげ伸びて怪我ひとつなき遺体堀り出ず 
                          西宮市 岩佐栄三

 小雪舞う大焼野原に骨片をねんごろに拭き手のひらに置く
                          神戸市 服部敦子

 一夜明け瓦礫の底にくぐもれる起こす主なき目覚ましのベル 
                          神戸市 岡田淳
                                     (敬称略)

本文から、選者のひとり・馬場あき子氏の選歌後記を
一部、引用させていただく。

------------------------------

 歌には、事に遭遇しすぐにその場の感をまとめるという
 機会詩としての一面がある。
 全身で受けとめた一瞬の感を傾けて言葉を発するところに、
 固有な実感があって感動が伝わる。
(中略)
 これらの歌は、短歌という訴えの様式がもつリズムに、
 ぎりぎりの言葉が乗せられた時に発する微妙な力が、
 言葉に真実感を生んでいて、それが強い訴えの力になっているのだ。
 散文でかかれたすぐれたルポを読むのとも一味違ったリアル感が
 迫真力をもっている。

------------------------------

私は短歌を詠み始めたのが三十台半ばと遅かったこともあり、
「なぜ散文でも詩でも俳句でもなく、短歌なのか?」という
自問を持ち続けている。
答えはまだまだ見つからない。
生涯、さがし続けるのかもしれない。
が、この馬場氏のことばに、鍵のひとつを与えられたように思う。

馬場氏は、こうも書いている。

-----------------------------

(今回の応募作は)どれも巧みを競うことは考えていない。
 事実を伝えようなどとも意識していないかもしれない。
 ただ、いまうたわなければいられない切実な衝動からうたうという、
 しぜんな欲求に発したものばかりだ。

-----------------------------

 いっぽう、入選作には、このような歌もあった。

地震の惨事目のあたりにして歌などに詠めるものではないと娘(こ)は言う 
                            今治市 八木光子

多くのひとが頷く歌だと思う。
3月11日の大震災の後、
言葉が見つからない、詠えなくなった、ともよく聞いた。
しかし、私は「詠った」方の実作者だ。

はたしてそれは、衝動・欲求のほうが、
おそれ・すくみに勝ったからだろうか?
いま、「勝ち」という語を私は用いたが、
それは「克ち」でもあるのだろうか?

このことについても、
おそらく明快な、万人に通ずる答えは出ないだろう。
私はこのまま詠いながら、考え続けていく。

ただ、いまの私にはっきりとわかっていることは、
考えることを止めた時に、歌のちからも止まるということだ。




# by tsutanuma | 2011-05-05 21:59 | 短歌 | Comments(0)
「震災読み」
先日の「そののち歌会」で、
惹きつけられた一首があった。

 春の宵カルボナーラをとりわけて若しものことを妻はおっしゃる 

作者は草蜉蝣氏。
参加者から最も支持され、
私も天賞として選歌させて頂いた。
鑑賞コメントはこちらから。

http://bbs1.aimix-z.com/gbbs.cgi?room=kimi20n2

歌会がおひらきになったあと、ふと改めて考えた。
「若しものこと」とは、どんなこと?

私は当然のように、東日本大震災を連想していた。
もしも地震に、津波に、放射線におそわれたら……
と妻が夫に問うたのだと。

しかし、いちど震災を脇へおいてみると、
病気、事故、失職、離婚、子ども、孫。
夫婦の平穏な暮らしをゆるがすことが、次々浮かぶ。
または、宝くじが当たったら、不老不死の薬を飲んだら、
そもそもふたりが出会っていなかったら……などと
夢物語のような話題にもなり得る。
実にさまざまな「若しも」が考えられるのだ。

3月11日以降、「震災読み」という言葉を見聞きした。
歌意を震災に結び付けて読み取ってしまう、といったところだろう。
ときに解釈が飛躍したり、強引であったりで、
あまりプラスの印象はない。

私たちは、震災を経てしまった。
日常は揺さぶられ、傾き、崩れ落ちた。
経験する前と全く同じ心情を取り戻すことは、できない。

短歌は社会をうつしとる詩型である。
未曾有の大震災は、これからの短歌の詠みと読みを変えるだろう。
すでにその影響はあらわれている。

だが、歌の読みまでもを、歪ませないようにしたい。
先入観をもたず、深読みせず、偏らず、
その場に差しだされた作者のことばを、
まっすぐみつめたい。

情報からひきおこされる恐怖や悲嘆、感傷、
そして気持ちのどこかにある非常時の高揚に
目を曇らせたり、廻したりしないように。
読みにおける「地震酔い」とならないように。

なかなかにしんどいことだ。
だがこれは、短歌実作者としての私の
視座を強化するきっかけになるとも思う。



# by tsutanuma | 2011-04-19 17:43 | 短歌 | Comments(2)
そののち歌会
中部短歌所属、塔の仲間でもある
紀水章生さんにお誘いいただき、
ひさしぶりに「そののち歌会」に参加した。

http://bbs1.aimix-z.com/gbbs.cgi?room=kimi20n2

ネット上の歌会には以前、各所でかかわっていたが
思うところあり、現在は距離をおいている。
私にとって歌会は「生もの」である。
実際に会場に足をはこび、出席者の顔をみながら言葉を交わしたい。
生きてうごめいているその場の空気をふくめての歌会だと思っている。

とはいえ、日時の限定されるナマ歌会への出席は、
いろいろと調整が要る。
特に震災後の私は、外出や移動もままならなくなった。
そこで今回、ネット上の歌会に復帰することにしてみたのだ。

詠草のゆたかさ、批評のふかさ、学ぶところが大変多かった。
これは私があれこれ申し上げるよりも、
実際にログをご覧頂いたほうがはるかに伝わるだろう。
この場にいられて、ほんとうに良かった。

やねうらねこさんこと紀水さんと、結社を超えた参加者のみなさん、
そしてゲストの松村由利子さんに心から感謝を申し上げたい。



3月11日から一ヶ月が過ぎ、
震災と短歌について考えさせられることが続いている。
身動きがとりにくいなりに、ブログというこの場で
私が書けることを、ぽちぽちとでも書いていきたい。

なにごとにおいても
「そののち」が、大事なのだと思う。
「そのさき」のためにも。

# by tsutanuma | 2011-04-14 08:40 | 短歌 | Comments(0)
せめてやさしく
計画停電が見送られた午後、
柳宣宏さんの歌集『施無畏』をめくっていた。
2009年3月発行。
初読のときは、たしかな観察眼をもちつつ、軽妙な口調でうたった
悲哀の見え隠れする作品に魅かれていた。

  水仙の花の高さに身をかがむいつもこんなに謙虚ならなあ

  白飯の茶碗に盛りたるいただきをふかく凹ませ卵こそ割れ

  酒に酔い財布を落としてしまひけりこころよかりきその夜の酒
 
  渚べに生産性を零にして坐れば波が青く見えるよ

  雪隠の壺跨ぎしにゐさらひに冷たき昭和の風を忘れず


が、東日本震災後、なにげなく読みかえしてみて、
この一首に不意を衝かれたのだ。


 枝先に木の芽が赤いと伝え来ぬ地震に遭ひたる越の国びと 
                         (ルビ;地震→なゐ)

読みすすめると、こんな歌もあった。

  大地震に崩れはてたるみちのくの里へ迷わず帰るや燕

  軒先に帰りて来たる乙鳥この国のこの駅を見捨てず

                      (ルビ;乙鳥→つばくらめ)

これは中越地震(2004年10月)か
中越沖地震(2007年7月)が背景にあると思われる。
いずれにせよ、震災からある程度経過してから詠まれた歌だ。
柳氏は神奈川県在住である。
人づてに聞いた話と、おそらく旅行者として見た風景を元にしている。
震災の年の北国の冬は、とりわけ厳しかっただろう。
春をどんなにか待ちわびていたことか。

その地のこころに、柳氏はきちんと向き合って詠っている。
傍観者としてではなく、しかし涙に溺れることもなく。

梅の歌や、偕楽園・千波湖の歌も収録されていた。
茨城歌会で吟行を企画し楽しみにしていた場所だが、
中止とせざるを得なかった。
震災による被害は大きいそうだ。

http://www.koen.pref.ibaraki.jp/park/kairakuen01.html

  寒くても嬉しいんだな白梅の花がほころぶ浄き日差しに
 
  うすあおき莟をふふむ梅の花しろきを愛す瓶のひともと

  老松をふた本めぐりていばらきの訛楽しくここに聞こえ来

  湖をめぐりて行くに日に当たりあたたかさうな長椅子が眠る


これらの歌を読むうちに、私の中にわきあがるものがあった。
地震のあと、私はしばしば無力感にとらわれていた。
深刻な被災者でもない自分の小手先の歌に、なんの意味があるのか。
しかし後の時間のために、やはり歌をつくろうと思いなおした。
歌で何か成し遂げようというのではない。
残しておくことに、意義があると考えたい。

『施無畏』は春を詠んだうたのあふれる歌集でもある。
祈るように、書き写している。


  枝先に生れてきたのは春である木の芽のなりをしてをりますが

  セロファンに包まれたるを春の野に光らせながらほどくおむすび

  春の山ぢつとしている振りをして笑ひながらに花粉を飛ばす

  萌え出づる草生の中に新しき杭打たれたり春ならむとす

  西行になれなくたつてさくら花せめてやさしくなりたきものを





# by tsutanuma | 2011-04-07 16:42 | 短歌 | Comments(0)
東日本大震災のこと
3月11日、午後2時46分。
私は塔4月号の東京初校のため、浅草橋に居た。

経験したことのない衝撃に全身が揺さぶられ、
机の下に潜り、床に這いつくばった。

それでも、その場では東京支部の先輩方と
「これで地震の短歌がいっぱいできるね」と
談笑する余裕もあったのだ。

が、状況があきらかになるにつれ
私は笑うことができなくなった。

街角のテレビや携帯電話のニュース、駅の構内放送など
情報は切れ切れにしか得られなかったが、
未曾有の大災害であることに気づき始めた。

都内の鉄道はすべて運休、再開の目処はたたず、道路は渋滞。
千葉の自宅には小学校から帰った娘が、ひとりで待っていた。
私は決心し、徒歩で県内のターミナル駅を目指した。
ひたすら、歩いた。
駅に到着したときには、日付が変わっていた。

シャッターの閉まった駅の階段で、しばらく呆然と座りこんだ。
タクシーもバスも来ないロータリーは、帰宅難民で溢れていた。
携帯電話のバッテリーは切れかかっていた。
夜明かしも覚悟したが、警察官から避難所を教わって移動できた。
そこの公衆電話から友人と連絡がつき、車を出してもらい、
自宅に戻ったのは午前3時半過ぎだった。
無謀で危険で、よく辿りついたものだと、今では思うのだが。

東京から歩くうち、太陽は夕焼けも残さず落ちていった。
初めての夜の道は暗く寒く、終着点は見えなかった。
たて続けの余震、冷たく生臭い風、黒々とうねる河。
倒れた塀、散らばるガラスの破片、照明の消えた店。

恐ろしかった。不安だった。

だが、これでお終い、という気には決してならなかった。
必ず家に向かう、帰れる、と感じていた。
歩いているあいだ、ずっと思い浮かべていた短歌がある。

倒壊現場をくぐりくぐりて東へ歩く枕木の上鳥籠さげて / 佐近田榮懿子

歌集『春港』のなかの一首。
以前、書評を担当させていただいた。

「佐近田さんという港」

この歌集で佐近田さんは、第6回筑紫歌壇賞を受けている。

神戸在住の佐近田さんにとって
阪神・淡路大震災はおおきな転機であり、
『春港』における重要なテーマのひとつにもなっている。
彼女の震災を詠んだ歌に心をうごかされながらも、
関東在住の私はどこか、ひとごととして「鑑賞」していた。

だが、3月11日の夜、私は佐近田さんと共に歩いた。
鳥籠の歌は私の中に、灯りをともし続けてくれた。
鳥籠のように、短歌というランタンを提げて、歩いた。

短歌の発する、光を知った。

震災の翌日、総崩れとなった自宅の本の山の中から
探し出してめくった『春港』の歌たちは、
またあらたな表情をもって迫ってきた。
いや、私の意識のほうがあらたまったのだ。


潜り込む机もろともつきあげる闇が崩れ来ああまうだめだ

倒壊の家の板を燃して炊く粥を並びてこの掌に受けぬ

草はらとなりし更地にころがりて雨にぬれゐる花柄茶碗が

古家の崩れし壁のにほひする路地に入りゆく夕凪のころ

まだ残る力があれば抱きしめてほしいと思ふ窓のあぢさゐ

亡くなりし人らになんと詫びようか 今朝二足の軍手を洗ふ


これから、東日本大震災にかかわる短歌は
それこそ世の中にあふれるだろう。

短歌で腹は満たされない。
短歌で寒さはしのげない。
短歌で感染症は防げない。

短歌で被災地は復興しない。
復興させるのは、人間だ。

だが、立ちすくんだり、しゃがみこんだりした人間の足元を
短歌が照らしてくれる瞬間があると、私は信じる。

かなうことならば、多くの人びとの、多くの震災詠を読みたい。
それぞれの場所で、そのひとが感じたことを、読ませてほしい。
そして私は、自分のからだで感じたことだけを詠んでいきたい。
ひとと引きくらべることなく、ひとに引きずられることなく。

いつかそれが、「いま」のみならず
「これから」の光になることを、信じる。




改めまして、被災地の皆さんにお見舞い申し上げると共に
私や娘、また茨城在住の息子を気遣ってくださった方々に、
深く感謝いたします。

さまざまなことに、長い時間がかかるでしょう。
いまの気持ちを褪せさせることなく、
自分のできることからしていこうと思っております。
                          
                           沼尻つた子


# by tsutanuma | 2011-03-22 14:50 | 備忘 | Comments(2)
批評会(のさわり)
またもながらく放置してしまいました。
私のなにか言いたい、書きたい、という欲求は
twitterやmixiで満たされてしまっているのかもしれません。

さて、歌集の批評会への出席が続いています。

立川目陽子さん『螺旋のつぼみ』
尾崎知子さん『笹鳴り』

いつかあらためてブログ記事にしようと思うのですが
いつかっていつだ。

このあとは
田中濯さん『地球光』
岡本幸緒さん『十月桜』がひかえています。

田中律子さんの『プリーズ・コール・バック』は
残念ながら勤務と重なり、欠席させていただきます。申し訳ないです。




批評会はエキサイテイングです。
同じ一冊の歌集で、こんなに読まれ方が違うのかと。

参加メンバーの所属結社や生活環境、
さらに世代や性別が多岐にわたるほど
(まあ性別は生物学上は二種だけですが)
よりおもしろい会となりそうです。

自分という人間のアタマはひとつだけれど、
ほかのひとのアタマの一部をわけてもらえることは
ありがたいと思ったりもします。

ことなることは、たのしい。

みんなちがってみんないい、
もともと特別なオンリーワン、というのには
私はちょっと、諸手をあげては賛成しかねるのですが。

先月、心の花との合同歌会に参加したときも
ことなることを、たのしく思いました。

この報告もいつかまた。
だからいつかっていつだ。
# by tsutanuma | 2011-03-10 14:27 | 短歌 | Comments(2)
乙女十七
今から四半世紀ちかく前の高校時代、友人たちと
少女マンガ雑誌『花とゆめ』を夢中で回し読みしていた。

授業をさぼり、美術準備室にもぐりこんで
デッサン用の食パンをストーブで炙って齧りながら読む漫画は
教科書よりもずっとずっと、身体にしみこんだ。

先日古本屋で、なんとなく川原泉の漫画を手に取った。
ずいぶん久しぶりだった。
かつてお小遣いで買った花とゆめコミックスではなく、
小さな白泉社文庫になっていた。

『食欲魔人』シリーズの海編
(空・陸・海がある。ちなみに青い瞳編と宇宙編も含めた五部作)
「不思議なマリナー」をめくって、びっくりした。

ヒロインの女子高生・綾乃さんがほのかにあこがれる
釣り名人の海上保安官・加納さんが、短歌を詠んでいるのだ。


清々(さやさや)と冬日差す海アイナメの姿は既に刺身となりぬ
夕焼けに釣りたての魚あぶり焼きなんて美味しいウミタナゴかな
北風に身を切るようなメジナ釣りバター焼きこそのどけからまし


歌を書き付けたノートを綾乃さんに見つかり、加納さんは恥ずかしがる。
「ヘボ短歌」「どの雑誌に投稿してもボツばっかり」と。
(だろーな、と作者のつっこみが隅に書かれている)

しかし綾乃さんは
「わーすてきー、釣りびとの心理がよくでてますねー」と感嘆する。
それを聞いて加納さんは
「歌の道を捨てなくて良かった……」と安堵し、そっと息をつくのだ。


初春やボラもタナゴも出世魚 縁起が良くて味秀でたり


私がはじめて「不思議なマリナー」を読んだ頃には、
作中の短歌のことなど、ほとんど気にとめなかった。
いや、まったく関心が無かった。
綾乃さんの言葉を借りれば
「お歌までなさるとは、なんて雅なご趣味」程度で。

いま、多少の経験を経てこれらの歌をみると、正直、「うーん……」だ。
台詞廻しの巧みなカワハラ教授だけあって、韻律はよいのだが。
もちろん漫画の中では、微苦笑を誘う役割を果たしている。

でもやっぱり、綾乃さんの言うとおり
心のよくあらわれた、素直な歌だとも思う。
ふっと(シニカルではなく)笑える、ここちよい歌。

綾乃さんは加納さんを「不思議な人だなあ」と讃える。
短歌もまた、不思議だ。
不思議だから、魅力的だと思う。

ところで。
17歳の綾乃嬢が慕う30歳の加納氏は、
おじさんとして描かれている。
少女とおじさんの組み合わせは、川原ワールドの王道だ。

いまの私からすると30歳は十二分に青年で
「おにいさん」なのだが、
川原泉の描く30歳は、未だに「おじさん」に見える。
それも不思議だ。

きっと、現実よりもはるかにリアルな漫画の世界へ入りびたっていた
10代の私に、すこしだけ戻れるからだろう。

やがて、制服のスカートのパン屑をはらって立ちあがり
美術準備室を出なければならない時が、かならず来るのだけれど。


朝まだき小さき影が磯に見ゆ 乙女十七釣り糸垂れる   加納真之


# by tsutanuma | 2011-01-28 22:06 | 短歌 | Comments(2)
白き茶碗
2010年12月16日、朝。
私は持病の治療のため、病院に入った。
広いが混み合った待合室には、
大きなクリスマスツリーと、
大きな液晶テレビがあった。

きょうも待ち時間が長そう……と
ソファに座り込んだとき、クリスマスソングが聴こえた
鉄琴か木琴のような、高く澄んだ、でもやわらかな音。
ツリーの仕掛け?と思ってふりむいた。
しかしその音は、テレビから響いていた。

鉄琴でも、木琴でもなかった。
台の上に並べられた大小いくつもの陶磁器の碗を
細いスティックで鳴らし、音楽を奏でていたのだった。

NHKの佐賀県有田周遊特集の番組だった。
アナウンサーが「碗琴」と
奏者の「筒井孝司氏」の名を告げた。

二年前。
笹井宏之さんを偲ぶ会でお見かけしていた、
お父様の横顔が映った。

私の家にはテレビが無い。
病院も、毎日通っているわけではない。
診察時間も、決まっていない。

なのに、聴けた。
なにかが、聴かせてくれた。

透きとおった碗琴の音が、耳の奥でころがりつづけた。





笹井宏之さんが亡くなって、今日で2年になります。

『えーえんとくちから』を大切に読んでいます。
『てんとろり』も、もうすぐ書店から届きます。

彼のたましいをうつしとった歌に
触れられることに、感謝します。


二十六歳の死亡記事欄を切り抜きし矩形を睦月の風はくぐりぬ

               『塔』2009年5月号掲載 吉川宏志氏選


現れて去ったあなたと交差した ささいひろゆき ささいひろゆき

                 『うたのわ』2010年1月24日投稿


午前四時 熱に眠りしひとのあり 白き茶碗に雪をすくえり

                     2011年1月24日 即詠
              

 
# by tsutanuma | 2011-01-24 22:20 | 短歌 | Comments(4)
Вечная мерзлота
「シベリア」という名前の菓子パンがある。
練り餡や羊羹をカステラ生地ではさんだもの。
甘くやわらかく美味しい。
和風なのに何故シベリア?と調べたら、
切り口がシベリアの凍った地層に似ているからとのこと。

1月14日、塔誌の東京初校が行われ、
塩谷いさむさんの話題が出た。
4日に逝去された。享年90歳。

横浜や湘南の歌会でご一緒しており
お元気な印象だったので、訃報には驚いた。
12月まで歌会に参加されていたそうだ。
同席した私の娘にも、よく構っていただいていた。

塩谷さんは、いつも飄々として楽しいかただった。
だが、過酷なシベリア抑留の経験者でいらした。
詠草にも、ときおり戦争の影がさしていた。

手をとったり肩に触れたり、
塩谷さんは人肌を恋しがるところがおありだった。
凍てついた記憶が、そうさせていたのかもしれない。

塩谷さんは、永久凍土を抱え続けていらしたのだろう。
眠りの中でいつか、それが溶けることを祈っている。


「柏餅食べたい」とラーゲルに残して逝きし友の忌に居る   10年6月

することが何もないから咲くと言ふさくらに会ひぬ靖国神社  10年3月
 
雪の降る向かうに雪が降り始め闇の向かうにまた雪が降る   10年1月

いま一度最晩年の母の手に抱かれてみたし うたたねのあと  09年8月


# by tsutanuma | 2011-01-17 10:07 | 短歌 | Comments(2)
はやいもので
2011年も残すところ
あと354日となりました。

…………。

あけていました。おめでとうございました。
今年もどうかよろしくお願いいたしました。

さても。

1月9日、本年度第一回めの塔いばらき、茨城歌会でした。
いつもこぢんまりな当会ですが、今回は東京から
S也さん・N子さん・M紀ちゃんがご参加くださって
にぎやかでした。ありがとうございました。
大事な近未来のミーティングも兼ね、充実した会でした。

N子さんの差し入れの美味すぎメロンパン&マロンパンに
お腹をふくらませ、
S也さんの「茨城は詠草も批評もレベルが高い」とのお言葉に
鼻の穴をふくらませました。

そして翌日に、M紀ちゃんの大吉報。
朝日歌壇賞を佐佐木幸綱氏選で受賞!


 あからひく朝の路上に甘き香の近江屋洋菓子店のトラック 白石瑞紀


おめでとうおめでとう!
マイライバルに新年早々、水をあけられちまいました。
きー。
よく遊んでもらう娘も
「Mちゃん写真のったのね?たいへんねーー」
と、はしゃいでおりました。
事件みたいだからやめなさいその言い方は。

うちは新聞をとっていないので
こういった知らせをいつもwebで
すばやく知らせてくれる仲間達にも感謝です。
(Pさんありがとーーー)




短歌は、最終的には自分ひとりと向き合うために
つくるものかもしれません。
でもやはり、受けとめあう他者の存在が必要だとの
思いをあらたにした新年でした。

無人島に漂着しても、私は短歌をつくるでしょうが
きっと書きつけた歌を壜につめて、海へ流します。


# by tsutanuma | 2011-01-11 10:23 | 短歌 | Comments(4)
どうぞよいお年を
2010年、激動といいますか
心身ともによく動いた一年でした。
でも私の場合、動いていない一年のほうが
少ないかもしれません。

わりと妙な人生だと思います。
たぶん来年も妙だと思います。

このような画像も絵文字も顔文字もない
地味で偏屈なブログにおつきあい頂き、
ありがとうございました。

来年もどうか宜しくお願いいたします。
もうすこし頻繁に更新します←毎年言ってる

沼尻つた子





# by tsutanuma | 2010-12-31 09:37 | 挨拶 | Comments(0)
喫茶パトラッシュ
先日からお知らせしていた同人誌、
「喫茶キングダム」の通信販売が始まりました。

http://okujoking.exblog.jp/

愛らしい本ができあがりました。
どうか、たくさんの人に手にとっていただけますように。
宜しくお願い申し上げます。

文学フリマ会場で、メイドコスプレ宣伝部長だったリカちゃん人形は
うちのおもちゃ箱からひっぱりだしたのものです。

もうひとつ。
twitterでの
おもしろいこころみに参加しました。

「パトラッシュで短歌を詠むよ」

http://togetter.com/li/80076

本多響乃(真弓)さんは未来短歌会所属。
キングダムのメンバーと同じく、
枡野浩一氏のかんたん短歌blog投稿時代から
長くなかよしでいてくれているのです。
ひびきのさん、いつもありがとう。

ちなみに私の現在のtwitterアイコンは
「ツタージャ」。

新しいポケモンだと娘が教えてくれましたが
私はポケモンのなんたるかを
ほとんど知らないのでありました。
くさへびポケモン、タイプくさ、
たかさ0.5m、おもさ8.1kg、だそうです。




クリスマスですか。

子ども時代から、なんとなく苦手な季節です。
実家にはツリーもケーキもシャンメリーもプレゼントも
なかったからかもしれません。
教会に通っていた頃は、すこしは落ち着いていたけれど。

赤、緑、金、銀、白、ちかごろはLEDの青。
光があふれかえるなかのカウントダウンは
何かかが削られていくような気すらします。

でも、どこかで誰かが
満ちているのであれば
それでいいと思います。



# by tsutanuma | 2010-12-21 16:33 | 短歌 | Comments(0)
やわらかきかな
塔に所属して五年目。
会員に知りあいも増え、ときおり誌上に
「あ、これは私のことかな」
と思いあたる歌を見かけるようになった。
なにか申し訳なく、恥ずかしく、でもやっぱり嬉しい。


  反対よと沼尻さんを呼び止めて自信がゆらぐ青山通り
                         樺澤ミワ(2010年5月号)

2/11、私はシンポジウム「今読み直す戦後短歌・II」に参加すべく
地下鉄の駅から上がって、ためらいなくずんずんと
会場の反対方向へ歩いていたのだった。

私は方向音痴で、方向絶対音感がまったく無くて、
樺澤さんが呼びとめてくださらなかったら
永遠にたどり着けなかった。
青山アイビーホール、二度目だったのに。

でも実は私のことよりも、娘を詠んでくれた歌のほうが多い。
歌会にも子連れで行き、すっかり顔が売れているからだろうか。
娘は物怖じせず、はじめてお会いした会員さんに
私の本名と年齢を大声で教えたりする。

私が単身で短歌の集まりに行くと
「きょう娘さんは一緒じゃないの?」と聞かれたり。
母よりもてる娘なのである。

  「夏休みに海においで」と書くハガキ 潮の匂いも届くといいな
                          出頭寛一(2010年10月号)

鹿島灘の出頭さんのお家には、娘と同じ年頃の孫姉妹がいらして
いっしょに真っ黒に日焼けしつつ潮干りをした。

  貝汁に青しそちぎりとびつきりの方代汁だよ入道雲よ
                          岡 しをり(同10月号)

しをりさんは出頭さんの奥様。


  少年と少女の声に高低のわずかにありてわが前後ゆく
                          三井修 (2010年8月号) 
 
5月の筑波山吟行のときの即詠。
追いかけあって登山した少年は、中村明美さんの長男くん。娘と同学年。

  呼ぶ声のたどたどしさはもう消えて「お母さん、」と少年のトーンで
                            中村明美 (同8月号)


しゃぼん玉飛ばし味噌っ歯笑い出す母の手編みの帽子かぶって 
                           宮本晴子

こちらは2009年NHK短歌10月号、題詠「帽子」で東直子氏選の佳作。
乳歯が抜けたの頃の娘がモデルなのだと教えていただいた。
偶然この号には、私の歌も並んで掲載されていた。

潮風に生まれかけてた下の句が帽子もろとも吹き飛ばされる
                            沼尻つた子


そして12月号。
この日のことが詠まれていた。

http://tsutanuma.exblog.jp/13241771/

ありがとう、M紀ちゃん。

友の子がだいじな友を貸しくれぬぬいぐるみの毛のやわらかきかな
                              白石瑞紀



# by tsutanuma | 2010-12-15 17:50 | 短歌 | Comments(2)
どなたの夢に
「昨日夢に出てきたよ!」誰かの夢に登場した自分の姿
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1436938&media_id=95というmixiの記事で思いだした歌。

ことしの11月8日の読売歌壇、小池光氏選。


どなたかの夢にわたしがあらはるることもありなんどなたの夢に
                     (川口市・広田絹子さん)

一読、まいった。
なんて美しい歌だろう。

夢以外はぜんぶひらがなで、夢の文字だけが
レム睡眠の霞のなかから浮かびあがるようだ。

私が長いあいだ抱えていた霞が、かたちになっていた。
もうこのモチーフで、短歌はつくれないと思った。

私はいろいろな人の夢をみる。
現実に会える人も会えない人もいる。
楽しかったり、苦しかったりする。

ほかの人の見る夢のなかに
私が出ることはあるのだろうか、と
子どものころからずっと考えてきた。
「私の夢、みた?」と家族に聞いて
不思議な顔をされたりした。

私が夢のなかではどんな姿か、ということより
私の夢を見てくれたのは誰か、ということのほうが
ずっと知りたくて、怖くて、大切だ。

私の夢をみたひとは
楽しいのだろうか、苦しいのだろうか。


おずおず、どなた、と呼びかけてみる。


# by tsutanuma | 2010-12-13 08:17 | 短歌 | Comments(0)
アラウンドフォーティーさん
今日で39歳になりました。
与謝野晶子と同じ日であると気づいたのは
短歌を始めてからです。

アラフォーなどと呼ばれると
どうにも据わりがわるく、
もう切りよく40歳でいきたいです。
39と40では雲泥の差だと
人事や雇用の仕事をしていたとき、
痛感したのですが。

まあ泥でいいのです。沼だし。

30代最後の年と気負わないで
できることからしていきます。

娘と二人で暮らしていますが
彼女、生クリーム苦手なので
特にケーキもないです。
ふつうにご飯炊いて納豆食べます。
普通が貴重です。

昼食は好物のラーメンこさえます。

生んで育ててくれた両親に感謝します。
でも母には毎年、誕生日忘れられてます。



文学フリマではたくさんの方とお会いできて
『喫茶キングダム』を連れ帰って頂きました。
ほんとにほんとに、嬉しかったです。
改めまして、ありがとうございました。

通販につきましては後日、公式ブログでご案内できるかと思います。

http://okujoking.exblog.jp/

また、塔の会員さんでご興味がおありのかたは、
直接私までご連絡をいただけたらと思います。
どうか宜しくお願い申し上げます。

# by tsutanuma | 2010-12-07 10:18 | 短歌 | Comments(2)
第11回文学フリマ『喫茶キングダム』 
こんにちは。
ああ、12月ですね。

いろいろもそもそ、動いております。

昨年、おかげさまで好評完売となった
『屋上キングダム』

http://tsutanuma.exblog.jp/11713926/

今年の第二号にも参加いたしました。

http://okujoking.exblog.jp/

こんどの舞台は喫茶店。




喫茶店を題材にした小説、短歌、エッセイ、ルポetc。
新メンバーも迎え、よりバリエーションに富んだ内容です。
前回同様、ちょっとした仕掛けも隠された
たいへんたのしい本となっております。

私は二作目の小説を手がけました。
「チョコレートバナナパフェ」と題していますが
それほどは甘くないかと。
私にスイーツ、無理。

でも、私の書くものは
短歌も小説も散文も日記もすべて
ラブレターです。誰かへの。

こちらは第11回文学フリマにて販売します。
一冊ワンコイン、500円です。

http://bunfree.net/

開催日: 2010年12月 5日(日)
時間: 開場11:00~終了17:00(予定)
会場: 大田区産業プラザPiO 大展示ホール・小展示ホール
アクセス: 京浜急行本線「京急蒲田駅」徒歩3分、
JR京浜東北線「蒲田駅」徒歩13分
公式サイト:http://bunfree.net/

「屋上キングダム」 (小展示ホール ウ-19)

参加メンバー
あみー 稲荷辺長太 後藤グミ 笹本奈緒 志井一 辻一郎
天国ななお 仁尾智 沼尻つた子 モーフ 百田きりん
                               (五十音順)

当日、会場にいらっしゃれない方には
昨年同様、個別で承ります。
メッセージかコメントをお願いします。

電子書籍黎明年に敢えて世に問う紙媒体、
というほど肩に力は入ってやしませんが
ゆるふわもへまふ~と見せて
実はなかなかどうして熱い野郎共と
(かわい子ちゃん複数含む)
お茶をして下さい。ご一緒に。




# by tsutanuma | 2010-12-02 12:34 | 挨拶 | Comments(2)
河野裕子を偲ぶ会
2010年10月17日。
よく晴れて暖かな、週末の京都。
高校の修学旅行以来、20数年ぶりだった。

地下鉄烏丸線、国際会館駅の改札前。
会場案内の矢印を持って立っていた
紫のワンピースのでかい女が、私。
ちなみに一緒に立っていた紺のワンピース嬢は、Pさん。

会場案内をしながら、何百人もの方とご挨拶をした。
幅広い年代の男女。大きな荷物をかかえた方、杖をつかれた方、
お連れさまに支えられるように歩む方、赤ちゃんを抱いた方。
出席者は1100名を越えたそうだ。

会場に掲げられていたのは、ゆるりと微笑む、裕子さんの写真。
写真の下にはコスモスが、花畑のようにたくさん、たくさん飾られていた。
裕子さんの大好きだったコスモス。

塔の会員にも大勢会えた。
近しい関東の仲間と京都で会えるのも嬉しかったし、
三年前の全国大会以来の方、ネットのやりとりだけで初対面の方、
名前をきくと、塔誌の活字がそのまま浮かぶ方もいた。

関東から来た私を、みなさんは「遠くから大変でしたね」と
ねぎらって下さったが、まったく遠く感じなかった。
気持ちが近づける距離があるのだ、と知った。



私は帰宅の都合上、前半しか出席できなかった。
詳しいレポートが書けず、読んで下さっている方には申し訳なく思う。
さらに申し訳ないが、私見を書かせていただく。

この「偲ぶ会」については、様々な意見が出るのかもしれない。
が、こういった行事は故人のためではなく、
のこされたもののためにあると、私は考えている。

1100人と故人との縁のかたちは、それぞれであったろう。
参列者、いや参列がかなわなかったひとびとも、
「河野裕子」に思いを馳せたひとりひとりがそれぞれのかたちで、
やりきれない気持ちをもっていく場所、けりをつける機会。
けじめ、ひとくぎり、よりどころ。
すすむための、みちしるべ。
そういった会だったのだと思う。

この場をつくってくださった
ご家族や実行委員会の皆さんの
強い責任感と遂行力に敬意を表し、
衷心から、感謝する。

そして「偲ぶ会」は、
河野裕子という大きな存在が作った、
短歌から生まれた
つながりのちから、の
象徴でもあっただろう。

裕子さんは
「わたしには子どもと短歌しか、のこせない」
とおっしゃっていたという。

だが、このつながりも、まちがいなく
のこしてくれたもののひとつなのだ。


遺すのは子らと歌のみ蜩のこゑひとすぢに夕日に鳴けり 河野裕子



# by tsutanuma | 2010-10-19 23:19 | 短歌 | Comments(4)
セプテンバー
2005年秋、短歌をはじめて5ヶ月ほどの頃のこと。
参加していた「枡野浩一のかんたん短歌ブログ」で
何人かの常連投稿者が連作をつくるよう、指名をうけた。

私はその一人として、初めて20首の連作をこしらえた。
テーマは出産にし、臨月から臍の緒を切るまでを詠んだ。
長女を産んでから三年が経ち、記憶は遠くなりつつあった。

私は日記や写真などの生活記録に、熱心ではない性質だ。
しかし、子どものことはいつか、何かのかたちに残したい……と、
うすらぼんやり考えていたのだった。

現在、その20首の正確なひかえは、手元に無い。
投稿用のブログはすでに閉鎖し、
データは故障した旧いパソコンに入ったきりだ。
こういう性質なのである。

しかしいま思いだすと、なんとも微妙な出来の連作だった。
勢いだけはあったけれど。
枡野さんも評価に困っていらしたようだ。
表現力も構成力も足りず、なにより出産を詠むのだという覚悟、
ちゃんとした「腹くくり」がなかったのだから、当然だろう。

それ以来、出産にまつわる歌はほとんど詠んでいない。
2007年の長男妊娠時は既に結社へ属していて
発表と批評の場に恵まれていたにも関わらず、手がけなかった。

その頃の私は、妊娠・出産の過程を晒すことが
「産めるもの/産めたもの」の特権の見せびらかしにも思えた。
子どもをダシにするようで、気がすすまなかったのだ。
そして時間が経つほど「今さら。。。」という感情がまさっていった。

しかし、青木朋子さんのこの一首に出会い、
目がひらけた。

胎便を出さむといきむ子の尻を動物ならば舐めてやるらむ

(初出・『塔』2008年5月号、歌集『大空の亀』収録)


この号で私は、編集部から「一首評」の原稿依頼をうけていた。
数千首の掲載歌から、まっすぐこれを選んだ。
当時のデータが(めずらしく)残っていたので載せておく。

<出産経験者は頷き、未経験者は慄く一首だろう。
 胎便は新生児の初めての便。
 速やかに排泄されねば赤ちゃんの体調にひびく。助けたい。
 その踏ん張りに、分娩台での(下手くそ!と𠮟られつつの*)
 苦闘を重ねたのか。
 
 いや、きっと理屈抜きに、母は舐めたかったのだ。
 愛情より先に炸裂する本能。
 生命を産みだすという極限状態にケモノへ還るヒトの姿が、
 隠さず飾らずあらわされている。
 犬や猫に例えず、きっぱり動物としたのも効いていよう。
 
 母性は畏れ多く恐ろしく、そしてどこか可笑しい。
 昨日の出産を語るように生き生きした連作だが、
 二十七年前とは!
短歌も母親も、つくづく強靭なものだ。>

 *)連作のなかの一首より;  
   「下手くそ!」と分娩台に叱られて「八時までには産まむ」と決意す 


塔で私が書いた初の批評で、読み返すと気負いすぎていて恥ずかしい。
しかし、青木さんの歌があってこそ書けた文章であり、深く感謝している。

出産は個人にとって特別な、大切な、唯一無二の経験だろう。
だが人間、いや生物は何万年も、出産を繰り返して生存しつづけてきた。
特殊なようで、普遍的なことだと思う。

また母子ともに、生命の危機へさらされる場面でもある。
新しい生のすぐそばへ、常に死が迫る。
流れる血液と羊水は崇高なようで、穢れも感じさせる。
混沌と矛盾と相反だらけの、
ごちゃごちゃぐちゃぐちゃのふしぎなできごとだ。

青木さんの歌は、そのごちゃぐちゃをどっしり引き受けている。
出産時に人間は生物に、原始に戻る。
理屈ではない衝動があることを思い出させてくれる。

そして、時を逃せば臨場感は薄れてしまう……
という私の思い込みも、青木さんは一掃してくれた。
時間の経過は、すなわち劣化ではない。
強く深い思いを短い詩形に凝縮して託せば、
いつでも新鮮な状態に解凍できる。
それも短歌の力のひとつだろう。

ダシにするなら、よいダシ汁をこしらえたい。
いつか私も、子どもらの出産を詠めるかもしれない、と思いはじめている。

子どもは私の「なか」から「そと」に、押し出すものだった。
そこで、かつての連作には「出す九月」と名づけた。
九月は娘を出した月。
だから、この記事も九月中に投稿するはずだった。

だった……の……だけど。。。
ええ、いま、何月何日ですか。

やっぱり結局、記録に不熱心な私であった。
短歌(とブログ)があって、よかった。ほんとに。




# by tsutanuma | 2010-10-10 21:21 | 短歌 | Comments(6)
10/6・東京平日歌会
参加人数23名。

で、私は、とある歌を
「甘えている」などと
それはそれはえッッらそーーーーーに
批判したのだが。

作者名発表をみると
それは選者の小林幸子さんの歌だった。

スカイツリーから身を投げたくなった。

だらだら脂汗ながしながら
幸子さんに詫びをいれると、

「あやまることなんかないのよ、
 おっしゃることはよくわかったわー」

と、あのぱぱーんとはじけるような
笑顔でこたえてくれたのだった。

「いいたいこと言えるのが、塔なんだからねー」

そうか。そうなのだ。

私はいつも暴走しているけれど、
それはこの結社だから、ゆるされることだった。

甘えているのは私のほうだった。

いつも見守られ、育てられている。



私の詠草は、たばこをモチーフとしたものだった。
私自身は喫煙しない。
健康問題うんぬんもあるけれど、
むしろ味が全くわからないから口にしない。
味わえないものが灰にしても、たばこに気の毒だろう。

男の作者の方だと思います、という意見があった。

そうか。そうなのか。

中身がおっさん、としばしばうそぶく私だけれど
それはひな型というか、形骸化、かたちばかりの「おっさん」であり
「おっさんというマスコットみたいなかわいい私」という驕りだろう。

わたし男っぽい性格なの、と自称する女ほど
「女くさい」ものは無い、と思う。
ほんもののおっさんの域に私は、いろんな意味で達せない。
達する必要もなにも無いけどな。うん。


# by tsutanuma | 2010-10-07 23:30 | 短歌 | Comments(2)
9/4 (土) スイーツ・パラダイス
塔の仲間・M紀ちゃんが、私の地元まで来てくれた。
入会前からの友人で、年齢も近い(が彼女はすんげい若く見える)
知り合うほどに共通項がみつかる。ご縁というものだろう。

私の娘も一緒に、ランチとデザート(むしろデザートがメインのバイキング)を
どんどこ平らげつつしゃべりたおす。
M紀ちゃんは今夏の全国大会の資料を持ってきてくれた。
歌合出場の顛末、再会した皆の様子、松山の暑さ。
そして永田主宰の挨拶、河野裕子先生の写真と生花と記名帳の部屋。
食べて飲んて笑って泣いた。

資料の他にも、大きな袋にたんとお土産をいただく。
娘は誕生日プレゼントのシロクマぬいぐるみを抱きしめ、
私はお手製の5年モノ泡盛梅酒を抱えこむ。
改札で何度もふりかえり、手をふった。

かつて、塔誌巻末に掲載される会員リレーアンケートの
「塔のなかでライバルは?」
という設問が、話題になった。
回答のほぼ四割が「ライバルはいない」「考えたこともない」
であることに、疑問の声があがったのだった。
現在、設問は「気になる塔の歌人は?」に変わっている。

「ライバル」の響きのはらむ、あやうさを考えさせられた。
たしかに人により異なる印象を持つ、デリケートな言葉だろう。

だけど、私はM紀ちゃんや同期入会、同世代の会員たちを
「ライバル」と呼びたい。
彼女・彼たちがいなかったら、私はあじけない。さびしい。
あッ好いたらしい歌詠みやがって!秘孔突いた詠みしやがって!
キー!となりながら、なんとなくうれしくなってしまう。
私もふんばる、と思える。

M紀ちゃんと私は、百歳ちかくなっても歌会に行こうと約束している。
テーブルの端に陣取って座布団ひいてもぐもぐ茶菓子を食べ、
詠草プリントを手に「字がちっこいのぅ」などと、うだうだ言いたい。
そして平成60年あたり生まれのヤング塔会員たちに
「誰あのツインばあさん」と、ひそひそいぶかしがられたい。
金魚も一匹で飼うより、仲間を水槽に入れたほうが長生きすると聞いた。

# by tsutanuma | 2010-09-17 11:23 | 短歌 | Comments(4)
4/25・ニッポン全国短歌日和
いきなりとんでもなくさかのぼるのだけど
この日、自作短歌がテレビで流れたそうだ。

http://www.nhk.or.jp/bs-tankahaiku/result/tanka3.html

「そうだ」というのは、私が肝心の生放送をみていないから。
当日は遠方の歌会に出かけていた。

もともと我が家にはBSをひいていないどころか、テレビ自体が無い。
のちに録画DVDを送ってくださった温かい方もいらしたが、
申し訳ないことにDVDプレイヤーすら無い、のだ。

そんな環境で出詠してしまうのも恥ずかしい話だけれど、
歌会へ向かう電車のなかでふと、お題 「歩く」 の歌が浮かび、
携帯電話から投稿してみた。

で、歌会のあいまに覗く携帯でのtwitterやmixi記事、
友人たちから届くメールで
なにやら尋常ならざる事態が起きていると、気づいたのだった。

全貌がつかめず泡をふいている間に
自作はトーナメント選をズンドコ勝ちあがり、
決勝戦まですすんだらしい。
つまりは準優勝、島田修三氏の選者賞をいただいた。

目をとめてくださった歌人のかたがたと、
TVやPCの前で見守り、力を貸してくれた友人たちに、
改めて深く、お礼を申し上げたい。




かつてカトリック信徒であった私は
住んでいた街の小さな教会で、結婚式をした。

私の父は背が高く、細身だった。
若い頃から変わらない体系が自慢で、
30年前の母との挙式用に誂えたタキシードを
新婦の父として着てみせて、周囲を感心させた。

父に似て長身に育った私への口癖は
「俺ぐらい大きい男と結婚しなきゃな」だった。

花嫁入場の作法は、独特だった。
新婦と父は脚をそろえ、一歩前にだしては止まり、ゆっくり進む。

私も父も不器用でおぼえがわるいので、
なかなか歩みがそろわず、何度も練習した。
何度もけつまづいて、笑った。

式の数年後、父の癌が再発した。

痩せこけた身体は、もう「スタイルがいい」と
褒められるレベルではなくなった。

病室から移動するときは、まさに骨と皮だけの腕を支えた。
なにもないところで、よく父はよろけた。
長いドレスの裾を踏んだときのように。

すこし進んでは止まり、父は全身で息をついた。
ゆっくり、ゆっくり。
リノリウムの床にスリッパが摺れて、にぶく音をたてた。
教会の赤絨毯では聞こえなかった音。

そのころすでに、私の結婚生活は終わっていた。

ほどなく父の移動は車椅子となり、
やがてベッドから起き上がることもできなくなった。


きょう九月七日は、父の命日。


ホスピスの通路を父と腕組んでバージンロードのように歩いた



# by tsutanuma | 2010-09-07 22:07 | 短歌 | Comments(6)
9/1・東京平日歌会

今月の会場はいつもの浅草橋ではなく、赤坂の星稜会館だった。
陽の照りつける国会議事堂前の道を歩く。
しばらくぶりとはいえ、何回も行っているから大丈夫。大丈夫だ。

……おもいっきり、迷った。

脳にナビを埋めたい。

遅刻してこそこそ入った会場には、22人の出席者。
詠草をみるとなにやら、蝉を題材にしたものが目立つ。
数えたら9首あった。
東京セミ歌会。

虫かごのような詠草一覧をながめる。
この蝉はジジジとあるからアブラゼミだろう、
こっちはカナカナひぐらしの声、
そうね、もうすぐ秋の虫の音に変わるね、などと見ていくうち、
特に惹かれる一首があった。

前半は明け方の蝉が飛ぶ情景、
結句で思いがけない展開。
てらわないユーモア。

確かに朝は、独特な飛びかたをする蝉を見かける。
よく観察された歌ですよね、と発言した。

でも、なにか言い足りない気がした。
この歌のきわだち、他の歌との違いは……。

4時間で44首すべてに触れるのはハードだ。
司会の武山千鶴さんの奮闘で評が進む。

何首かすぎたところで、あああ!気づいた。

この歌は蝉を「見て」いるのだ。
ほかの歌はみな、「聞いて」いるのに。

蝉とくればどうしても、鳴き声を連想する。
今年はとりわけ、猛暑を倍増させる声が耳についた。
しぜん、声を描写した詠草が多くなったのだろう。

だがこの一首は、声ではなく、動きを描いていた。

あの蝉の、やみくもな飛びちらかしよう。
結句は、かさかさかりかりの羽と脚、
からっぽなかるい胴体を体感させる。

蝉イコール声、のありきたりから抜け、
それでいてありありと、蝉。

ぎぃーーあ、と、私は足をばたばたさせた。
いいたい。この歌には生きた蝉がいる、といいたい。
が、粛々と歌会は進む。悶々とする。

で、悶々と帰宅して、ここでぶつけて、すこしすっきり。
しかしああ、やはり短歌はスポーツだった。

歌会は瞬時に簡潔に的確に
ボールを投げこみ、打ち返し、受けとめあう場だ。
批評の脊髄を、反射神経を鍛えねばな。
コートの中では泣かないの。
だけど涙が出ちゃう、女の子だもん(40代目前)





蝉の歌といえば、ことしは忘れがたい歌集に出会った。
90歳の「たましい」が、私の胸にもぶつかってくる。


仰向けに逝きたる蟬よ仕立てのよい秋のベストをきっちり着けて

ひとかけらの空抱きしめて死んでいる蟬は六本の脚をそろえて

けいけんな信徒かもしれない落ち蟬は六本の脚を胸にたたんで

わが胸にぶつかりざまにJe(ジュ)とないた蟬はだれかのたましいかしら


杉﨑恒夫 『パン屋のパンセ』 第二歌集
  栞  井辻朱美・松村由利子・穂村弘  4月28日発行




# by tsutanuma | 2010-09-02 18:56 | 短歌 | Comments(2)
八月尽
8月31日です。
夏休みが終わるのです。

娘はしっかりきっちり
読書感想文を仕上げたのに、
私はといえば、
読みちらかした歌集、
まとまらない感想だらけの
テータラクです。

でもだいじょうぶ。
日本には○○の秋という、
たいへん応用範囲の広いことばがあります。
短歌の秋、読書の秋、学問の秋、スポーツの秋。

スポーツ?

はい、短歌はスポーツだと思うのです。
みじかい歌だからといって、
短距離走とも限らない。
瞬発力も大事だけど、
持久力が肝心、と気づきました。

詠むことは体力だと、かの方もおっしゃいました。

とりあえず筋トレとして
薦められた
『鉄とゆふがほ』をお借りしています。

タイトルからして亜鈴がわりになります。
いいえそうではありませんすみません。

好きな歌がたくさんで、
たくさん書き写して手を動かして、
筋肉痛は二日後以降に来る、
更年期がうっすら透けてみえる、わたしの秋です。


・岩野伸子 『鉄とゆふがほ』  第一歌集
  序 河野裕子     5月27日発行
# by tsutanuma | 2010-08-31 21:41 | 短歌 | Comments(0)
8/29・湘南歌会

湘南歌会に参加した。2回目になる。
会場は藤沢市民会館。

初参加した1月24日(真中朋久さんが選者派遣でいらした回)とは
違う会場だったため、うろうろおろおろしてしまう。
お世話役の方から、会場確保に毎月たいへん苦労されていると伺った。

14人の参加で、詠草28首。そこから3首を選ぶ。
いつもの茨城や東京の歌会では選歌を行わないので、新鮮におもう。
選歌する歌会のほうが、スタンダードなのかもしれないけれど。

3首、迷いにまよう。
結果集計後も皆さんの評を聞くうち、ますます迷う。
たのしい迷いだ。
湘南・横浜の歌会には秀歌が多い。
そして、参加者の評も鋭い。
鋭すぎて肝が冷えるが、鍛錬になる。

千葉との往復では4時間を超える。
が、それだけの時間をかけてでも、行く価値のある歌会だろう。

そして今回も、子ども共々あたたかく迎えてくださり、感謝している。
湘南の最年長の男性は80代とお聞きしたが、
8歳の娘とフィーリングが合っていて
「いえーい」と手をタッチしあっている様子などを傍で見ていて
失礼ながら、そして保護者ながら、ものすごく可笑しかった。

帰りは数年ぶりに江ノ電に乗った。
が、乗り場がみつけられず、またもさまよった。
たぶん私はいつでもどんなときも、迷うようにできている。
あさっての東京平日歌会は赤坂だ、浅草橋じゃないんだ……

# by tsutanuma | 2010-08-30 20:24 | 短歌 | Comments(0)
塔・全国大会のこと
8月21・22日、塔の全国大会が道後温泉でひらかれた。
私は参加できなかったが、盛会であったようで、なにより。

はじめて全国大会に出席したのは、三年前の東京だった。
そこで河野裕子さんに、ご挨拶がかなった。

多くの人が先生の印象として挙げるように
とても、ちいさい女性に見えた。
私が大柄だから、よけいそう感じたのかもしれないけれど。

淡色のお召しをまとった姿は、涼やかだった。
東京の猛暑と喧騒を、ふっ と断ち切るような。

初参加であることを告げると、裕子さんは

「おともだちをたくさん、つくっていってねえ」

と、少女のような声で仰り、微笑んだ。
面くらった。

私は就学前の娘を連れていたので
(塔の全国大会には託児制度がある。ありがたい)
その、幼児に言ってきかせるようなやわらかなことばは
娘に向けてか、と思った。
しかし、裕子さんは母親の私のほうを、まっすぐ見つめていた。

大会のあいだに、私は(そして娘も)
たくさん「おともだち」をつくった。
いつも誌上でみかけていた作者に実際に会えるのは
ふしぎな感激だった。
大会後も詠草を拝見すると、皆さんの姿が浮かんだ。
同時に、裕子さんのちいさく、白いお顔も。

大会を機に、全国各地の歌友を得た。
それ以来、直接は会えていない人も多い。
だが、毎月の誌面やWEBを通じ、つながっている。
歌をしていなければ得られなかったご縁ばかりだ。

短歌をつくることは、ひとりでもできる。
むしろ、ひとりきりでつくるべき時もある。
だが、
短歌をつづけることは、ひとりではむつかしい。
私はそう思っている。

そして、裕子さんへの感謝をあらたにする。



去年の京都での大会は、はりきって申し込み、
詠草を出し、選歌し、新幹線の手配までしたのに、
事情があって直前キャンセルせざるを得なくなった。
大勢の方に迷惑と心配をかけてしまった。

娘と身を寄せていた実家に、丁寧な字の現金書留で
会費の払い戻しが届いたとき、
私は玄関先で封筒を握りしめたまま、泣いた。

あのとき京都にいけば、
裕子さんに会えたのだ。
後悔を、この一年間かかえてきた。

だから、今年の秋はなんとしても行くつもりだ。
たくさんのともだちと一緒に、
裕子さんへご挨拶するために。


「河野裕子を偲ぶ会」

10月17日(日) 13:00~17:00
グランドプリンスホテル京都(京都市左京区宝ヶ池) プリンスホール
主催 「河野裕子を偲ぶ会」実行委員会、塔短歌会、永田家

(塔短歌会HPより)



# by tsutanuma | 2010-08-23 16:07 | 短歌 | Comments(0)
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